花と命
今日、午前中に保険のセールスレディが来た。
本人(夫)がいたので対応していたけど、会話の中で「花壇のお花が綺麗ですねぇ」と言うのが聞こえた。
やはり人に褒めてもらえると手入れのし甲斐があるし、素直に嬉しい。
今、ちょうど花が満開で、1年の中で一番見ごろを迎えている我が家の花壇。
メインの道路からはその花壇が見えず、家の前まで来ないと見えない造りなので、なかなか人に見てもらう機会がないのだが、見てくれる人からはよく褒めてもらえる。
この花壇を作って3年くらいだが、まずデザイン画を描いて、どういう出来上がりになるかをちゃんとイメージして、高低差を考えて花を植えた。
やるからには徹底的にやるタイプ。
何回か植え替えているので、最初の雰囲気からは変わってきているけど、いい感じに馴染んでいる。
いつかは枯れて終わってしまうものだけど、終わってしまうからこそ次に咲いた時にまた喜びを感じる。
私はプリザーブドフラワーの資格も持っているが、プリザーブド(保存)という意味もあるように、綺麗な姿を長く楽しめるので贈り物などには向いていると思う。
でもそのままの姿をずっと楽しめるという利点がある反面、時が止まったような虚無感のようなものも感じることがある。
生花はどんなに大事に世話をしてもそのうちしおれてしまう。
「あぁもう終わっちゃったのか」とも思うけど、生きているものを相手にしているという感覚も受ける。
あるお店に「プリザーブドフラワーを置いてみたらどうですか?」と提案したことがある。
でも店主には「生きているものしか置きたくないからプリザは置かない」と言われた。
いつでも見事に咲いていて最高の状態で止まっているけど、それはまた不自然な状態なのだなぁとその時思った。
あれはあれで私は好きだけど、作品として、贈り物として、、、言ってみれば「雑貨」のジャンルに入るのだと思う。
今は満開の花壇の花も、早いものはもう終わっていたりして、日々咲き終わった花がらを摘んでいるが、花の「死」を見届けることで自分が生きていることを実感するというか……難しいけど、なんかそんなことを感じた。
春が終わったら一年草のものは夏の花に植え替えて、花と共に私も季節を感じながら、余分な草を抜いたり、水をあげたり、時々栄養をあげたり。
今のまま、ずっと綺麗に咲いていて欲しいけど、この儚さが生きていたという証。
私も人生の半分まできて、これからどう生きて行こうかなぁと…いまだにそんなことを考えているが、思えば私の満開は一体いつだったのだろう?