子供という枠
私たち夫婦には子供がいない。
結婚した当初は特に子供のことは考えもしなかった。
休日には2人で旅行へ行ったり楽しく遊びまくっていた。
でも30代後半になってやっとじわじわと子供について思いが湧いてきた。
↑もうすでに遅いんだけどね。
たまたま不妊治療に通っている友人がいたので私も紹介してもらって通うようになった。
あまりダラダラ続けてもキリがないのではっきりではないけど、あまり長くはやらないつもりでいた。
しかし、人工授精でダメ。
体外受精でもダメ。
なかなかうまくいかない。
注射をするために毎日病院へ通ったり、日程も体に合わせるので自分の予定はなかなか立てられない。
でも一緒に頑張っている友達がいたのでそんなに辛いとは思わなかった。
ただ出費が大きいのと、注射が痛いのと、ほぼ毎回股を見せる恥ずかしさと、気持ちを保つメンタルが悩みだった。
スタートした年齢がそもそも高かったのと、当時隣人トラブルがあったこと、実家の家族問題など、とにかくストレスが多かったので心の安定している時が少なく、自分でもできるような気がしていなかった。
そんなこんなで何回やっても着床せず、「残念ですが…」という先生の言葉聞くのも嫌になって不妊治療をやめた。
病院へ通う煩わしさはなくなったものの、もう自然に妊娠することはまずないだろうと確信もして、私の中での「子供」という枠がいつまでも空いたままになっている。
周りの友達は当たり前のように妊娠して子供を産んでいく。
年賀状が毎年子供の写真で送られてくる。見たくもないのに。
ランチでもしようとなっても子供を連れてくる友達の中で私はすごくみじめだった。
で、子供のいる友達とは積極的に会わなくなった。
自分がわざわざ辛い思いをすることをしたくないのだ。
それからは子供が嫌いなわけではないのだが、自分を守るため子供を避けるようになり、あまり見たくないように思えてきた。
芸能人が妊娠したニュースですら心がざわつく。
近所の家に孫が遊びに来ると、ドタバタと走り回る音がうるさくてイラつく。
裏の家の今年産まれた赤ちゃんがキーキーとあげる声が毎日聞こえてきて読書すらできない。
接したくないのに、周りに子供の気配がして落ち着く時がない。
すっぱり諦めて自分の人生をただただ楽しく過ごすことができたらどんなに気が楽か。
でもそれができない。
そんな気持ちをズルズルと引きずったまま毎日を過ごしている。
この気持ちを共感できる人と会いたい。
傷を舐めあうわけではなく、「あー、分かる」という人と話したい。
あの病院をやめた日から私は一歩も前に進んでいない。