おばあちゃんっ子
私の祖父母は父方、母方ともにもう亡くなっている。
私の父親は長男なのだが、祖父母は次男である叔父さんの家で同居していたので幼い頃は縁がなかった。
もともとは私の家で同居していたらしいのだが、出て行ったそうだ。
だからどちらの祖父母とも会うのはお正月くらい。
私が中学生から高校生になるくらいの頃、祖父母が叔父の家から追い出されて我が家へ来ることになった。
もともと5人家族だった我が家は7人家族になった。
最初は自分におじいちゃんおばあちゃんができる、ということで嬉しかった。
でも祖母は前にいた家の従妹の自慢話ばかり私にしてきた。
あの子は出来がいいとか、どうとか。
実際頭が良くて有名大学へ進学した従妹Aと、取り入るのが上手で懐いていた従妹Bは祖母にとって自慢の孫だっただろう。
それに比べて私は頭も良くないし、引っ込み思案でうまく懐けない。自慢できるところがない。
一緒にいてもいつも従妹の話を聞かされて、今一緒にいる私のことを見てくれない祖母から私は離れるようになった。
もう祖母の心には従妹たちしかいない。
祖母も本当は叔父の家で暮らしたかったに違いない。
母親もそれを分かっていて、朝昼晩の食事の準備をしていたと思う。
同じ家に住んでいるのに、他人と一緒に暮らしているような…すごく居心地の悪い空間だった。
祖母が亡くなった日。私は観劇に行く日で朝から支度をしていた。
母が部屋へ様子を見に行ったら亡くなっていたそうだ。ドタバタと家が慌ただしくなりただ事ではない空気を感じた。
祖母が亡くなったと聞いたけど、私はそのまま観劇へ行った。
どうせお通夜は後日だし、思い入れのない人のために苦労して手に入れたチケットを無駄にするのは嫌だと思った。
私にとって祖母より観劇が大事だった。
人から見れば人としてどうだろうと思うだろう。
家族として同じ家の中に住んでいたけど、家族になりきれなかったように思う。
祖父母が亡くなり、介護を1ミリも手伝ってくれなかった親戚の叔父や伯母は遺品を根こそぎ持っていった。
私は祖母が愛用していた三味線が欲しいと思っていたけど、従妹がちゃっかり持って行ってしまった。
我が家に残ったものは普段着ていた服とかゴミだけだった。
思い出もない。
思い出の物もない。
せめて何か話した思い出でもあればと思うが、何一つ思い浮かばない。
おばあちゃんっ子というのに憧れていた。
友達からそういう話を聞いたりすると、とても羨ましかった。
膝の上に乗せてもらったり、頭をなでてもらったり…そういうのは私にとっては物語の中の話のようなものだ。
私には祖父母はいなかった。
そう思った方が楽。